シルヴァは、学校からお家に帰ると、すぐにおじいさんの所にいきましたが、話し出すことがなかなかできませんでした。 「おやおや、どうしたんだい? シルヴァ」 「おじいさん…、実はね、お願いがあるのだけれど…」 「なんだね?」 おじいさんは、やさしくシルヴァに微笑みながら聞きました。 「私、クレヨンが欲しいんだけど…」 「クレヨン? それはまた、どうしたことだい?」 「だって…、クラスのみんなが持っていて…」 シルヴァは、途中までしか言えませんでした。 「そうかい、そうかい。じゃ、今週末買い物にでた時に、街の画材屋さんによってこよう」 「え、本当? でも…、うちにそんなお金があるの?」 「なぁに、なんとかするさ」 シルヴァは初等学校の2年生で、小さな街におじいさんと二人で暮していました。シルヴァのお父さんとお母さんは、シルヴァが小さい頃に死んでしまったので、シルヴァはお父さんのこともお母さんのことも、何も覚えていませんでした。 そんなシルヴァのことをおじいさんは不憫に思い、暮らしは貧しかったのですが、シルヴァの願うことは、できるだけ叶えてあげようとしていました。 その週末、おじいさんは街に買い物に出かけた時に、大事にしていた古い懐中時計を質屋さんに預け、そのお金で、シルヴァにクレヨンを買いました。 実は以前にもおじいさんは、おじいさんの大好きな蝶がいっぱい乗っている大きな本や、ユリのお花の形に銀の飾りが入っている食器や、もう何十年も前から部屋に飾ってあった立派な額付の絵や、とてもとても大切な時にだけ着ていた洋服を質屋さんに預けて、そのお金でシルヴァに、かわいいワンピースや、髪飾りや、オルゴールや、お人形を買ったことがありました。 でも、おじいさんは、シルヴァの喜ぶ顔が見たかったので、とても満足でした。 * それからしばらくした、ある日のこと、 おじいさんのところに来たシルヴァが、いつものようにもじもじしていたので、おじいさんがまた、優しくシルヴァにたずねました。 「どうしたんだい、シルヴァ。またなにか、お前だけが持ってない物があったかい?」 「おじいさん、私…」 「なんだい?」 「私…、素敵な思い出が欲しいの」 「素敵な思い出?」 「クラスのみんなは持っているの…」 「…」 「あのね、家族で旅行をした思い出とか、美味しいレストランに出かけた思い出とか、すてきな遊園地で一日中遊んだ思い出とか、みんな、思い出を持っているの…」 「シルヴァ…」おじいさんは、何と答えていいのか、わかりませんでした。 「思い出は買えるのかしら…。思い出を売っているお店はあるのかしら…」 「あぁシルヴァ。おじいさんはお前に、思い出を買ってあげることはできないんだよ…」 やっとの思いで、おじいさんはシルヴァに言いました。 「おじいさん、思い出を買ってくれるお金が、もううちにはないの?」 「あぁ、シルヴァ、買えるものなら、買ってあげたいのだけれど…」 おじいさんは、涙をこぼしました。 シルヴァも悲しい気持になりました。 シルヴァのお家が貧しいことは、シルヴァにだって分かっていましたし、時間がかかったことはありましたが、それでも、シルヴァがお願いしたものを、最初からおじいさんに買えないといわれたことは、今まで一度もありませんでした。 シルヴァは、自分の悲しむ顔をおじいさんに見せまいと、お家から外へ飛び出したのですが、何度もため息をつきながら歩いているうちに、あたりはもうすっかり暗くなっていました。 「素敵な思い出をもっていないなんて、クラスのみんなに、笑われるかしら…」 「どうしておじいさんは、シルヴァに、思い出を買ってくれないのかしら…」 シルヴァはこの時ちょっぴり、おじいさんを憎らしく思いました。 * シルヴァは、どこをどう歩いたのかも、覚えていませんでしたが、気がつくと、街の外れにある河原のそばに来ていました。 どこまでも続く河原の土手が、黒い蛇のように見えたので、シルヴァは少しドキッとしましたが、そのままその土手に駆け上がってみると、川の水面が美しくキラキラと月明かりに照らされていました。そして、川の両側には月見草がいっぱい咲いていました。 「わぁ、きれい…」。 そして向こうの土手の少し上に、丸くて、とても大きなお月さまが登っているのが見えました。 (丸いお月さまの、なんて美しくて大きいこと!) と、シルヴァが心の中で思ったその時、どこからともなく風がビュンと吹きました。シルヴァは、思わず目を閉じて、ちょっとだけ身構えたのですが、風はその時一度きりでした。 シルヴァがゆっくりと目を開けてみると、さっきまでは気付きませんでしたが、その河原の土手にそって、いくつもの敷物と、それぞれの敷物の上に、何かが座っているようでした。 「何でしょう?」 シルヴァは、暗がりに目を慣らしながら、ゆっくりと近付いていきました。 最初の敷物の上には、黒い猫が座っていました。 シルヴァが不思議そうに屈み込んで見ていると、「いらっしゃいませ」と、 小さな声で、その猫が言いました。 「ここで、みんなさんは、何をしているのですか?」 シルヴァは聞いてみました。 「今夜は満月の夜だから、“月夜のフリーマーケット”が開かれているんです」 小さな声で、猫は教えてくれました。 「それは、どんなマーケットなのですか?」 「“月夜のフリーマーケット”には、みんなが一番大切にしている思い出の品を、持ち寄ることになっています」 「一番大切な思い出の品?」 「はい、一番大切な思い出の品です」 「あなたがもってきたのは…?」 「私の一番すてきな思い出の品は、この写真です」 そう聞いて、シルヴァが黒い猫の前においてあるものをよくよく見たのですが、それは写真とも思えない、ただただまっ黒な紙のようなものでした。 「これが、あなたの一番大切な思い出の写真なのですか?」 「はい!」 「何かこれに写っているのかしら…」 「あぁ残念ながら、僕たちの姿は写らなかったのですが…。これはある晩、ぼくに初めて話しかけてくれたこのトラ猫さんと、二人で一緒に撮った写真なんです! あぁ、残念ながら、その夜の暗さしか写っていないのですが…」 「まぁ…」 「あぁ、あの夜は、すてきな夜だったなぁ…」 シルヴァはためしに聞いてみました。 「黒猫さん、黒猫さん、この思い出の品は、いくら持っていれば買えるのでしょう?」 「申し訳ありません。これは、わたしの一番大切な思い出の品なので、お売りすることはできません」 シルヴァは、がっかりしましたが、他にも、みんなの大切な思い出の品が並べられているか思うと、ちょっぴり、わくわくもしてきました。 シルヴァは、次の敷物のところにいってみました。 そこにいたのは、フクロウでした。 「いらっしゃいませ」と、フクロウが言いました。 「あなたの一番大切な思い出の品はなんですか?」 そう言いながら、シルヴァがフクロウの前に置かれているものに目を落とすと、スプーンぐらいの長さの小枝が1本、置かれているようでした。 「これは、小枝ですか?」シルヴァは、聞いてみました。 「そうです!僕の一番の思い出の品です!」フクロウが答えました。 「この小枝が?」 「はい、あぁ、この小枝で、僕はみんなの合唱の指揮をしたんです! 僕が、この街に引っ越してくる前の晩に、シジュウカラさんや、ツグミさんや、ムクドリさんや、カラスさんがあいさつにきてくれて、そして、みんなでお別れに歌を歌ったんです! あぁ、楽しかったなぁ。カラスさんは誰よりも大きな声なのに、色が真っ黒だから、その姿が見えなくて、おかしかったな…」 その話しを聞いて、シルヴァにも、その晩の楽しそうな情景が目に見える気がしました。 「フクロウさん、フクロウさん、この思い出の品は、いくら持っていれば買えるのでしょう?」 「申し訳ありません。これは、わたしの一番大切な思い出の品なので、お売りすることはできません」 シルヴァは、また残念に思いました。 次の敷物の上にはウサギがいました。 「いらっしゃいませ」と、ウサギが言いました。 「ウサギさん、あなたの一番大切な思い出の品はなんですか?」 そう言いながら、シルヴァがウサギの前に置かれているものに、目を落とすと、それは何か、シルヴァのこぶしくらいの高さしかない、小さな透明なビンでした。 「あなたの大切な思い出の品は、このビンですか?」シルヴァは、聞いてみました。 「いいえ、ビンではないんです! 僕の大切な思い出の品は、あぁ、この中に入っているんです!」 ウサギが答えました。 そう言われて、シルヴァが目を凝らしてそのビンの中を見てみると、確かに水のような透明なものが入っているようでした。 「何が入っているのでしょう?」 「あぁ、これは思い出の雨です。あぁ、この雨に、私たちはその日一日、やさしく包まれていました。わたしの憧れのあの方とはその日一日きりで、お話もあまりできなかったのですが、それはそれは、あぁ、なんてすてきな時間だったろう!」 「やさしい雨に包まれた、すてきな時間…」 シルヴァもちょっと想像してみました。そして、ちょっぴり、甘い気持になりました。 「ウサギさん、ウサギさん、この思い出の品は、いくら持っていれば買えるのでしょう?」 「申し訳ありません。これは、わたしの一番大切な思い出の品なので、お売りすることはできません」 その先には、ヤギがいました。 「いらっしゃいませ」と、ヤギが言いました。 「あなたの一番大切な思い出の品はなんですか?」 そう言いながら、シルヴァがヤギの前に置かれているものに、目を落とすと、それは、シルヴァが持っている茶色いシュシュのような何かのかたまりでした。 「あなたの大切な思い出の品は、それはなんですか?」シルヴァは、聞いてみました。 「美しい椿の花です!」 ヤギが答えました。 「椿の花?」 「はい、あぁ、もうこの椿の花は朽ち果ててしまい、今はこのような色形をしていますが、あの時、この椿の花の…、あぁ、その赤色の美しかったこと! そして、この椿は、なんていさぎよく、その花を地面に落としたことでしょう! あぁ、あんなに絢爛で儚いこの椿に、僕は出会ることができたなんて!」 「それはそれは、本当に美しい椿だったのでしょうね!」 クシャクシャになって枯れているその椿でしたが、シルヴァにも、その美しかった姿が、思い出されるような気がしました。 「ヤギさん、ヤギさん、この思い出の品は、いくら持っていれば買えるのでしょう?」 「申し訳ありません。これは、わたしの一番大切な思い出の品なので、お売りすることはできません」 その隣にはトカゲが敷物を敷いていました。 その前には、お世辞にも上手にかけているとは言えない絵を置いていました。 その向かい側には、ワニが敷物を敷いていました。 その前には、卵の殻のかけらを、 その先の敷物にはヘビが、誰かの食べかけのような林檎を、 その向かい側にはコウモリが、灰色をした石ころを、 その先の敷物にはキツネが、柿ノ木の葉っぱを何枚か、 そしてみんな、口々に「申し訳ありません。これは、わたしの一番大切な思い出の品なので、お売りすることはできません」と、決まり文句のように言うのでした。 * 結局、売られている思い出の品は、1つもありませんでした。 ちょっと残念な気持で、シルヴァは月を見ました。 気がつくと、随分時間がたったように思えたのですが、大きくて丸い月は、先ほどとあまり変わらない高さにあるようでした。 シルヴァは、みんなのことを、とてもうらやましく感じました。 と、その瞬間、また風が、ビュンと吹きました。 また、シルヴァは、一瞬目を閉じて身構えました。 ゆっくりとシルヴァが目を開けた時、その河原の土手に、さっきまでいた、みんなの姿はありませんでした。 シルヴァはしばらく、ぼやっとしてしまいました。 気を取り直して、何回も目を擦って見たのですが、そこから見えるのは、月の光に輝いて、キラキラと小さな宝石をちりばめたように見える川の流れと、その両側で、静かに静かに咲いている月見草と、黒い蛇のような土手のシルエットだけでした。 (私は夢でも見ていたのかしら?) 「いけない! おじいさんが心配しているは、急いで帰らなきゃ」 シルヴァは急に、ハッとしました。 小走りで家に向かいながら、シルヴァは、 「石ころや枯れた花でも、大切な思い出の品になるのかしら?」 と考えたら、ちょっと元気になれた気がしました。 そして、おじいさんの心配している顔を思い出した時、 「おじいさんにも、思い出の品はあるのかしら…」 と、ふと思いました。 * 最後は駆け足でお家の前まで帰りついたシルヴァは、ガクガクするひざに両手をのせて、ドアの前で、少し息を整えました。シルヴァの小さく揺れる肩を、お家からの灯がやさしく照らしていました。 その時ふとシルヴァは、自分の胸元に、河原に咲いていた月見草の花びらが2枚、ついていることに気付きました。 さっき吹かれた一瞬の強い風で、飛んできたのでしょうか。 シルヴァはその2枚の花びらのうち、1枚を、今夜の自分の思い出の品に、もう1枚を、おじいさんへのプレゼントにしようと思いました。 |
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大きくて深い深い海の底の、昼なお暗い岩と岩の合間に、1匹の魚がいました。 人間の歳でいうと、16、17歳ぐらいの少年でしょうか。 その魚には、名前がありませんでした。 その魚のお父さんもお母さんも、その魚が小さかったある日の昼、別の大きな魚に食べられて、いなくなってしまったからです。 だから、その魚は、自分の名前を誰からも教えてもらえませんでした。 でも、他の魚や、貝や、海藻たちはその魚のことを、「夜の魚」と呼んでいました。 なぜならば、その魚は、昼間は岩間の陰に身を隠し、決して姿を現わすことが無く、その岩影から出るのは、決まってみんなが寝静まった後の、夜だけだったからです。 * 「どうして君は、ずっと、そこから出てこないんだい?」 いつも、暗い岩影の奥にいる“夜の魚”を、昼の魚たちが、からかいます。 「僕たちといっしょに、おいしい小魚や小エビを探しにいかないかい?」 「そして、お腹がいっぱいになったら、お洒落をして、僕たちと歌って踊って遊ぼう! 楽しいことを、いっぱいしょうよ!」 「僕は…」 夜の魚は、いつも上手に答えられませんでした。 「きっと、泳ぎが遅いから、小魚を捕まえられないんだ」 「いや、歌や踊りが下手なんだよ」 「いや、さぞかし醜い姿だからさ」 「いや、単なる臆病者さ」 「行こう、そんなやつは放っとけよ」 実は、“夜の魚”は、小魚や小エビを探すことも、お洒落をすることも、歌って踊ることも、今まで一度も楽しいと感じたことはありませんでした。 そして、お腹をすかせていている大きな魚たちがいっぱいいて、自分の様子を伺っているのではないかしらと、昼間の海をちょっと恐く感じているのは本当でした。 そして、自分の容姿にも、自信がありませんでした。 “夜の魚”には、昼間の海が明るいせいで、嫌なことや醜いことばかりが見えてしまうような気がするのでした。 それに比べ夜の海は、静かで、心が安らぎ、なんて魅力的なことでしょう。 “夜の魚”は、暗い海の中の世界の方にこそ、自分が好きなこと、楽しいと思うこと、そして、なにより神秘的な美しさがあるのだと、感じていたのです。 * ある夜のこと、みんなが寝静まった夜遅く、“夜の魚”は岩影からいつものようにゆっくりと、広い海の中へ泳ぎだしていきました。 しばらく泳いでいると、海の底に、不思議に輝くものを見つけました。 近付いてみると、その虹色に輝くさまの、なんて美しいこと! 「なんて、美しい夜の宝石だろう…」 “夜の魚”は、その美しさに魅せられて、ゆっくりと何度も何度もその回りを泳いで、見とれていました。 すると、 「私の宝石の輝きが、見えるのですか?」 と、その宝石の持ち主の貝が、お話してきたのです。 「は、はい。 美しく虹色に輝く宝石をもった、あなたの姿が見えます」 びっくりしながら、“夜の魚”は答えました。 「この宝石の輝きは、本当の美しさを感じられる心を持ったものにしか、見えないのですよ」 「本当の美しさを感じられる心…」“夜の魚”も、同じ言葉を言ってみました。 「昼間の明るい光りが、すべてのものを照らし出しているとは、かぎりません」その貝は言いました。 「夜の海はとても暗いのですが、この宝石が虹色に輝いて見えるのは、海の天の外にある、月からのやさしい灯りがあるからです。その月の灯りが海の底にわずかに届いているのを、ちゃんと感じられる細やかな心をもったものにしか、この宝石の輝きは見みえないのですよ」 「わずかな月の灯り…」 「私たちの海に灯りを落としてくれるその月は、とても美しいといいます。でも、海に暮らすわたしたちには、残念ながらその姿を直接見ることは、できませんが…」 「でも、信じなさい。あなたは、本当の美しさを感じられる、美しい心をもったものなんですよ」 「僕が…」 “夜の魚”は、友達もいませんでしたし、いつもみんなにからかわれているばっかりだったので、今まで誰からもそんなことを、言われたことがありませんでした。 “夜の魚”は、ちょっぴり、勇気が出たような気がしました。 「さぁ、もうお行きなさい。 もうすぐ、海に朝の光が差し込んできてしまいます」 「はい」 「でも、お別れに、もう一度言っておきますよ。 明るい方が本当の光りだとは、かぎらないのですよ」 「はい」 “夜の魚”は、その貝に、さようならを言って、ゆっくりとまた、夜が明け始めそうな海の中を、いつもの岩場の陰へと泳ぎはじめました。 * それから、何日も“夜の魚”は、その美しい夜の宝石の輝きと、月の灯りのことを考えていました。 「美しいお月さまの姿は直接見れなくても、あの宝石を美しく輝かせるという、そのお月さまの落としてくれるその灯だけでも、もっと近くで見てみたい…」 その日の夜、みんなが寝静まった頃、 “夜の魚”は、海の天の近くに向かって泳ぎだしました。 それまで“夜の魚”は、海の底の近くにしかいたことがなかったので、海の底が見えなくなった時には、とてもドキドキしました。 でも、それとひきかえに、海の天に落ちる月の灯りの揺らめきが、だんだん大きく見えるようになってきました。 「あぁやっぱり、なんてやさしく美しい灯りだろう!」 それは、“夜の魚”が今まで見たこともない、夢のような光景でした。 それは、夜の海に、月がやさしく微笑みかけているようにも思えました。 それは、お月さまが“夜の魚”に、甘い口づけをしてくれているようでもありました。 「あぁ、この美しい灯りを海に落としてくれている、海の天の外のお月さまに、何かお返しはできないかしら」 “夜の魚”は考えました。 そしてしばらくすると、感謝の気持ちを込めて、ゆっくりと舞を踊りました。 その“夜の魚”の舞の、優雅できれいなこと! “夜の魚”は、月灯りが、天の端に消えていって見えなくなるまで、ずっとずっと、その夜は舞い続けました。 それ以来、月の昇る晩は、海の天近くまで上って行き、美しい月の灯りを見ながら舞を踊ることが、“夜の魚”の、一番幸福な時間になりました。 * それが、どのくらい続いたでしょう…。 とある晩、「今日も月の灯りに会えるかしら」、“夜の魚”は、わくわくした気持で、夜の海を上りはじめていました。 すると不思議なことに、海の天に近づくにつれ、この夜は、月灯りが二つ見えるような気がしました。 「おや、どうしたのかしら…。 お月さまは、1人ではなかったのかしら…」 海の天近くに行くと、やっぱり、灯りが二つありました。 少し遠いところには、いつものような、優しく美しい月の灯りが、 でも、“夜の魚”のすぐそばには、それよりも明るくて強く刺さるような、もう1つの月灯りがありました。 「これは、お月さまではないのかしら…」 「でもひょっとして、お月さまよりもまばゆいこの灯りが、あの夜の宝石に届いたら、あの宝石は、もっと美しく輝くのかしら…」 そう思いながら、まぶしいその灯りを見て、ちょっとクラクラしてしまった時、急に激しい音がして、黒くて大きくて恐ろしい影に、“夜の魚”は飲み込まれてしまいました。 ガラガラガラガラ…。 それは、人間が魚を採るために仕掛けていた、網でした。 ガラガラガラガラ…。 “夜の魚”は、その網の中で、一生懸命もがいたのですが、もう、逃げることはできませんでした。 “夜の魚”は、とうとう、大きな網ごと、海の外に引き揚げられてしまいました。海の天を越えた海の外の世界では、海の生き物たちは息ができません。 “夜の魚”が、人間の船の上に引き揚げられた時には、その苦しさに、意識が薄らいでいきました。 そして、まぶたが閉じるその刹那、空の少し離れたところに、優しく柔らかいお月さまの丸ぁるい姿が、“夜の魚”には見えたような気がしました。 「あれが、お月さまの姿か…。 本当になんて美しい姿なんだろう…」 そして、薄らぐ意識の彼方で、“夜の魚”には、人間の話す声が聞こえたような気がしました。 「なんて美しく輝く魚だろう! こんなに美しい魚が仕掛けにかかるなんて!」 |
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